コロナ第7波が落ち着いている11月9日~17日(8泊9日)の間ステップワゴンで車中泊しながら西日本を巡ってきました。
下の地図のとおり、自宅から四国へ渡り、松山から山口県へ、関門トンネルを使って九州へ、九州は薩摩半島折り返しで島原、長崎と回って、別府からフェリーで神戸、そして自宅に帰って来るというコースです。
また、この旅行中に撮った写真はこのブログにも載せますが、Photo-Galleyにも漸次掲載していきますのでそちらもご覧ください。
1.1日目 北淡震災記念公園、栗林公園 ←本稿
道の駅たからだの里・さいた
2.2日目 満濃池、丸亀城、タオル美術館、奥道後、周防大島
道の駅サザンセトとうわ
3.3日目 大島大橋、秋吉台、須佐ホルンフェルス、元乃隅神社
千畳敷キャンプ場
4.4日目 角島大橋、唐戸市場、関門トンネル、平尾台(千仏鍾乳洞)
道の駅吉野ヶ里
5.5日目 松原ダム、知覧特攻平和会館、開聞岳、鰻温泉
道の駅いぶすき
6.6日目 霧島温泉、島原、雲仙温泉
土石流被災家屋保存公園
7.7日目 雲仙普賢岳(平成新山)、諫早湾、長崎
道の駅さいかい
8.8日目 伊万里(鍋島)、湯布院、別府フェリー
さんふらわ ぱーる
1日目
明石海峡大橋、北淡震災記念公園
11月9日(水)朝、自宅を出発し天気も良好で途中渋滞も無く11時半頃に明石海峡大橋に到着しました。
淡路島側のサービスエリアで休憩と昼食を摂り、その際に撮ったのが以下の写真と動画です。
SAの展望台から見ても明石海峡大橋と明石海峡は迫力満点です。
便は違いますが、前に四国の東予港に渡る際に使ったオレンジフェリーが航行してました。
続いて、以前から行きたかった北淡震災記念公園に向かいます。
阪神・淡路大震災があったとき自分は千葉に居て、それを伝える第一報はテレビ局内部の大きな揺れの様子と、続いて局職員が自宅のベランダから外を見ながらの状況説明でした。
その時の「大きな被害は無さそう。」という自宅の職員の言葉が今も記憶に残っています。
ところが、実際は皆さんがご存じのとおりの大災害になってしまいました。
この北淡震災記念公園が他の震災遺構と違うのは、被害の大きさより地面が動いた跡の保存に主眼を置いているところです。
直線であるはずの家の塀や生垣が、教習所のクランクのようにずれているのも残されていました。
断層と一言で言ってますが、岩石でできているような土地が「そんなの関係ない」とばかりに直線状に動いてしまうのが不思議というか、人知の及ばないところです。
栗林公園
この後、大鳴門橋を渡って栗林公園に向かいました。
ここは「ブラタモリ#198」で放送されたのを見て、行ってみたいと思ったところです。
回遊式の庭園は全く飽きさせません。
栗林公園に付いたのが16時近くであったので、日が傾いて撮影には向かない時間になっていました。
でもその代わりというか園内も売店も人が少なくゆっくりできたのが良かったと思います。
因みに売店(栗林庵)はちょっとおしゃれな感じです。
銘柄は忘れましたが、ここで買った袋麵の讃岐うどんは美味しかったです。
この後は車中泊するための「道の駅たからだの里さいた」に向かいます。
途中の高速を走っていると、夕焼け空に「讃岐富士」が見え、知らない土地に来た感じがしました。
余談ですが
今年10月の大台ヶ原行では、赤目四十八滝と大台ヶ原とも長時間歩き回って脱水気味だったのに加え、ご飯類中心の食事内容に問題があったのか、一泊だけの車中泊だったにも関わらずちょっとひどい便秘になりました。
こうなると、今回の8泊9日の車中泊はその点に不安があります。
そこで、今回は以下の対策を講じました。これでうまく便秘問題を回避できたようです。
一つ目は、出発前に簡易ザワークラウトと、シイタケとコンニャクの煮物の瓶詰を作りクーラーボックスで持参し、朝晩の食事の際はそれを副食の一つにしました。
キャベツ、乾燥シイタケ、コンニャクはそれぞれ繊維質も多いのでそれが奏効したと思います。
二つ目は、向かう先がミカンで有名な愛媛や、山口、長崎なので、途中途中で袋売りのミカンを購入して信号待ちのときなんかに薄皮ごとよく食べていました。
これは脱水対策にも有効だったと思います。
次の西日本の旅 2日目の様子はこちら。
車中泊旅一覧はこちら。
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