秋田港に上陸した後、1日目は先ず青森県の三内丸山遺跡を目指し、そこから青森駅付近の施設を見学したあと、弘前城に移動して岩木山の麓を巡りました。
序章:敦賀港から秋田港
フェリー らいらっく泊
1日目:秋田港、青森県 三内丸谷遺跡、八甲田丸、ねぶたの家、弘前城 ←本稿
道の駅 もりた
2日目:岩木山、酸ヶ湯、秋田犬会館、八郎潟の外
五城目城駐車場
3日目:八郎潟の内、男鹿半島、角館、田沢湖
道の駅 おおうち
4日目:鳥海山、山形県 丸池様、玉簾の滝、山居倉庫、土門拳記念館
道の駅 しょうない
5日目:羽黒山、銀山温泉、立石寺(山寺) ←近日中公開予定(以下同じ)
道の駅にしかわ
6日目:新潟県 千年鮭 きっかわ、イヨボヤ会館、市島邸、新潟港
フェリー らいらっく泊
1.三内丸山遺跡
秋田港には朝早くの到着のため、船内では食事ができず港近くのコンビニで朝食を済ませ、上の図のとおり国道7号線と高速道路を使って先ずは三内丸山遺跡に向かいました。
三内丸山は「さんないまるやま」と読むそうで、テレビでは「さんだいまるやま」と言っていた気がします。
青森市に近づくにつれ、左手に岩木山がハッキリと見えて、さい先が良い感じです。
下は休憩で立ち寄った「津軽SA」から撮った岩木山です。
高速から出て程なく「三内丸山遺跡」に到着です。
展示館も大きくて、また実際の遺跡は思った以上に広範囲に広がっていました。
もらったパンフレットによれば、縄文時代というのは約1万年も続いたそうです。
自分には縄文式住居=竪穴式住居という固定観念があったのですが、この遺跡をひと回りすると竪穴式住居は勿論、その他に上の写真のようにかなり高度な建築技術が要する建物もあったことを知ることができ、新しい知見を得ることができました。
更に、この遺跡(縄文時代前期~中期)の墳墓では子供を埋葬するための甕棺(かめかん)が出土されていたり、下の土偶や更にその下の石製アクセサリーのよう日常生活には直接関係なさそうな飾りが作られていたりして生活にゆとりがあったことが分かります。
話しは変わりますが、先日行った福井県三方五湖にある「年縞博物館」の年縞の解析から、平均気温が今より10℃高かった時代があったことが証明されていて、今は冷涼な青森の地でも十分暖かく温暖で快適に生活ができた時代もあったと思われます。
遠く離れたこの二つの施設で得られた知識が自分の中で見事に合体した感じです。
2.青函連絡船八甲田丸、ねぶたの家ワ・ラッセ
次に青森駅近くの青函連絡船が保存展示されたメモリアルシップ八甲田丸に行ってみました。
船内展示は何年か前に東京お台場の「船の科学館」で見た「羊蹄丸」の展示とほぼ同じですが、ご当地ならでは、と思わせたのが陸側に残された線路でした。
線路のある部分が陸側で、八甲田丸の黄色いハッチが開けば船内への線路と繋がって、そこに貨車や列車が搬入され北海道まで運ばれる、という仕組みになっています。
線路は多少劣化しているものの本当にリアルに残されています。
続いて向かったのがここから徒歩3分くらいにある「ねぶたの家ワ・ラッセ」です。
ねぶた祭は青森の夏の風物詩としてテレビでよく放映されていますが、ここにきて改めてテレビは平面的だったことを思い知らされました。
上のねぶたは横幅と同じ位奥行きがあるのですが、この写真ではそうは見えません。写真も所詮2次元なのでその迫力はお伝え出来ません。
従って、その3次元的な迫力はお伝え出来ませんが、ねぶたの別な迫力をお伝えしようと撮ったのが下の写真です。
ねぶたは細緻に作られている上に内部照明という特殊効果があり、更に3次元構造物ゆえに後方の造作物を考慮することで迫力ある絵となりました。
3.弘前城
青森駅を離れて車で約1時間で弘前城に到着します。
弘前城は満開の桜や花いかだで有名ですが、それ以外にここの天守閣は現存12天守の一つとして知られています。
過去に訪れた残存12天守の丸亀城や松山城、彦根城はどちらかと言うと戦うための城で、それらより後に造られた弘前城は世の中が落ち着き始めた頃(1611年)に造られたこともあって、お庭と合体したお城という感じです。
それが故に後で植えられた桜との取り合わせがすばらしい景観になっているのだと思います。
4.鶴の舞橋、道の駅もりた
弘前市から岩木山を反時計回りに回って、廻堰大溜池にある鶴舞橋を見に行きました。
ここの湖は別名、津軽富士見湖と呼ばれていて、そこにかかる鶴の舞橋と岩木山との対比でよく写真に撮られています。
鶴の舞橋の由来等はこちらをご覧ください。
このあと、道の駅もりたに移動して車中泊の準備をしました。
翌日の車中泊旅2日目の様子はこちら。
これまでの車中泊旅一覧はこちら。
コメント